倍化法則を理解できない旧人達

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1152486


そもそもにPCというものが日常に溶け込んでしまった人間にはわからない感覚として、PCが無い日常の感覚というものがあるはずだ。
そしてその感覚を持つ人が人口比率でどのくらいあるのか判りかねるが、少なくともその感覚を持っていない人が大多数であるということはない。

流行であろうと次世代スタンダードであろうと常に先駆けがあり、故に後続がいる。
その人数比がピラミッドになっているのは間違いないので、先人が壁にぶち当たればその壁に少なくとも先人の時代より遥かに多くの人間が壁にぶつかることになる。
先人の役割というのは道を切り開くのと同時に後続がいることを理解した行動をすることであるはずだ。その事象を伝えていきたいと思うのならば。

思わないのであればつまり現状がそれに当たるわけで、上のような批判は至極当然とも言えなくもない。

うさだのlsさんに倣って文系と定義しておく

http://q.hatena.ne.jp/1148973626


要約すると、

  • 運動出来る奴の方がすげえよ
  • 物事を簡単に出来る奴の方がすげえよ
  • 空気読めよ
  • センスねえよ
  • 気持ち悪いよ

典型的な文系(仮)と言った感じで納得。
文面にするとこうもわかるものか、と言った感じ。
でも個人的には文系という括りよりは頭悪そうな人たちの括りと言ったほうが的確な気もするが。
空気読めるに越したことは無いが、そんなものは所詮、『空気読める人たち』というグループの中でのルールに沿っているかどうかという話であり、人間の本質的価値に結びつくことはない。

2の『もちろんいざと言う時は頼りにはなるので、いざと言う時は利用してます。』が賢い。
賢いというか、当然というか。
いかなる状況に於いても(巡りめぐって結局は)主体が常に自分にあると考えているのが文系(仮)。理系は存在証明が論理的な方法以外に不可能。

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