個と公、日本とweb

web個室化という言葉を最近耳にした。

言い換えると、『ここからここまでは私の場所だから勝手に入らないでね。あ、後入ったらちゃんとメッセージ残してよ。家に入って何も言わずに出てく人なんていないでしょ?』ということである。


然るにこれは、多く推察されている通り、web自体が多くの人間に利用されるようになった結果の一つである。
その理由はいくつかあると思えるものの、利用する人間がwebという開けた世界を理解していないことや、人間が増えることによる不信感などが挙げられると考えられる。
その上で、mixiのような友達まで公開というシステムは標準化されつつあるわけだが、私はこれに若干の不毛感を覚える。
これはネトゲを(というかROを)初めて少ししたころ、もう5年位前に思った感覚に似ている。

ROをやっていない人の為に噛み砕いた話にする。
以下はネットのRPGの話である。
自分の装備やしている行動が、実のところ全て相手に筒抜けであって、相手がそれを知ることが出来ないのは、相手側のソフトによってフィルターが掛けられている、という話。
自分の行動はPCを通じて全体に広がっており、そのフィルターさえ違法な方法で取り除いてしまえば、相手は自分の行動を逐一観察できてしまう。

別にこれはwebの脆弱性を指摘している話ではないのだが、ここにwebの公的な要素を感じたのだ。
webに繋がっている以上、自分の立ち位置は個室ではない。
それを肌で感じていながらも、当時のwebサイトと言えば『DLしたら一言ください』だのと書いていないところの方が少なかった。
2000年辺りにはだいぶ収束していたとは思うが。

そこで考えたいのが当時の個室文化である。
『DLしたら一言下さい』、というのは一見感謝の念の表現に見えるが、本質はそこではないと考えられる。
つまり、その『一言』というのは今日のmixiにおける「訪問したらメッセージ残していってね」の『一言』ではないかということである。
ここに、もう10年近く続く日本のweb文化が垣間見えるとはいえないだろうか。

本質的に(海外は良くわかっていないのだが)、日本のweb文化には個という概念が強いように感じられる。
そしてそれは形を変えながらも常に生きつづけている。
というよりも、日本的なものの考え方として、結局のところ最終的に行き着くのは個であって、公ではない。個人であって、団体ではない。
これが日本におけるwebの致命的な欠陥であり、今後の改善の課題でもあるのではないか。

鼻歌検索

http://www.midomi.com/
先を越された感。

これ考えてたのになー…!
っていうのがモロに出た感じ。
ああ、早くこういう仕事もやりたいんだってば。
ベンチャー企業と言うか。
鼻歌検索なんてあったら便利すぎるだろう?
資本が無い。
誰か一緒にやろう、他の人に越される前に…というか特許とか取りたい。