ジャンル分けは知識人の保身の為にある
ジャンル分けをする人間には2種類〜4種類いると考えられ、しない人間も2種類いると考えられる。
ジャンル分けをする理由の一つが
- そのほうが判り易い
という単純な動機に基づくものであるが、この理由のみでジャンル分けをする人間が1種。
この種類の人間は物事をあまり追及しようとしない(要領がいいとも、頭が回らないとも捉えられる)故に、ジャンル分けによって物事を判り易く整頓し、利用する。
もう一つの理由が
- 知識、あるいは思考能力の披露の為
だと思われる。
上記二つを併用、あるいは後者のみでジャンル分けをする人間が2種。
この種類の人間は物事自体ではなく、物事を理解・整頓することに重きを置く。
分類者が自覚していようといまいと本末転倒であるが、このうち前者、二つを併用しようとする人間の分類は傍から見て理解、共感しやすい分類分けになることが想像できる。
後者の分類は本人の自己満足による部分が大きいせいか、他者からの理解は得られないことが多いが、分類者は他者から評価を得たいが故に分類をしているので報われないことの方が多いゆに思われる。
ジャンル分けをしない一つの理由は
- そのままで良いと考える思考
によるものであり、さらに二つに分化でき、一つが
- 理解放棄
であるが、この種類の人間は単純にその物事に興味が無いか、あるいは分類自体に興味が無い。
知能の差で決まるものではないが、レベルとしては比較的多くの人間が相当する。
もう一つの分類は
- 一元論的思考
であると言え、渾然一体となっているから良いのだと言うものが多い。
これも理解放棄の一つの形ではあるが、特徴的である点は、積極的に理解を放棄している点である。
仏教的な哲学感とも取れるが、合理的な考えとは程遠く、旧来的な日本人には比較的多く見られる。
また、分類者に対して相互に優越感を持っており、分類側にしてみれば『低脳』と見られがちだが、一元論側にしてみれば『知ったかぶり・高慢』と見られがち。
と、分類してみるテスト。懐かしい響き。