米の通過儀礼
お米が炊けると言う。
確かにお米は炊けるものなのだが、我が家は炊飯器ではなく圧力鍋で炊く。
そのほうが早いからだ。
タイマーを使って、鳴ったら蓋を開けて食べるわけだ。
しかしここで疑問に残ったのは、タイマーという点である。
炊飯器の場合、全自動炊飯器であるから『炊飯器がアラーム音を鳴らす』=『米が炊ける』である。
圧力鍋の場合、『タイマーがアラーム音を鳴らす』=『米が炊ける』である。
この二つの絶対的な違いは、まず最初の段階。
炊飯器に入れた米は、明らかにご飯になる。
しかし圧力鍋に入れた米は、圧力鍋に入れた米である。
この時点でこの米には質的変化が起こっていることがわかる。
次に、炊き上がり前。
炊飯器の中で今まさに炊かれている米というものを、僕たちは目にすることはない。
なぜなら全自動炊飯器であって、そこに何の思慮も介在しないからだ。
米は全自動炊飯器に入れ、ご飯になるもの。そう思い込んでいる。
だが圧力鍋の場合、万が一タイマーを付け忘れると、その時点で中の米がご飯になる可能性は低い。
加えて、タイマーという点が重要である。
最初に『タイマーが鳴ればご飯』と定義した通り、タイマーが鳴ればご飯なのだ。
つまり、『タイマーが鳴っていないのに食べられる米』はご飯ではない。
この現象は、タイマーを残り時間もいいところで止めることで起きる。
これにより、私は夕ご飯の際に、米を食することが出来る。
電子レンジの場合も若干違えど、同等である。
これは、炊飯器の例とは相反する位置にあるといえる。
ここで問題となったのは、使っている機器そのものではなく、
- 使用機器の存在意義
- 使用者の意図
- 上二つの整合性
といったものだ。