主題:涼宮ハルヒの消失レビュー

基本的にライトノベルに求められてるものっていうのは、安易な文章と所謂オタク心をくすぐる可愛いキャラクターであると思っています。最低条件として。
その段階を踏まえて、あるいは踏まえないで次に出てくるのが『分かり易いカタルシス』だと思います。
簡単に言うのなら、起承転結をはっきりさせるというか、面白そうな風呂敷を広げて、それを仕舞い切る。

これが出来てる文章っていうのは、題材がどうであれそこそこ面白いものになってるんじゃないでしょうか。
で、ライトノベル以外の、言うなれば旧文学にあるものは、その文章力であったり、難解な文学性であったり、ともすれば理解し難いが故の、あるいは文学然とした文章であるが故の、作家と読者のキャッチボールというか、一方通行というか、そうしたやり取りではないかと思います。
あるいは、伝えるもの自体をぼかしたその霞んだ物見を楽しむというか、どちらにせよそこには主と客という二体が古典的な形で息づいてると思うのです。
もちろんそうでないものも沢山あるとは思うのですが、旧文学にあってライトノベルに無いものといってすぐに思いつくのはその辺りです。

ライトノベル系統の文章に見える傾向としては、なんというか、内輪ネタというか、非常に狭いやり取りがあるように思えます。
理解出来る人には理解出来るだとか、作家の箱庭を鑑賞するような感覚であるとか、そういった閉鎖的な極内部的な傾向。
これ自体は余り良いとは思わないけれども。
もう少し進むと、ストーリー自体が自己の認識でカバーできる範囲でしか進まない、用は自己完結、自己付近完結的な話も見られる。
ただこれに関しては悪いとは思わない。
何より進行が分かり易く、またその手法自体が読者を取り込む上で大きな役割を果たしているだろうから。
しかし羅列してみるとつまりは密室なのかなあ。と。
論理性を重んじるだとか、オチをつけるだとか、なるほどミステリ好きが多いわけだと思ったりもする。

またはあるいは全く逆方向の(ここまでライトノベルに含めるのかどうかは微妙であるが)、広がった世界に向けた孤独なメッセージ性を持った文章も見られるように思う。
普遍的な、且つ詩的というか、法則的な。
一種サナトリウム文学に通じるものがあるだろうか。
というか、これはむしろ近代文学的な傾向か?

本題に触れてない。
涼宮ハルヒの消失は、そうした内部完結的な、オチを強調した作品であることが窺える。
多重オチはいかにもライトノベル的な匂いがする。
ただその見せ方がとても上手い。
上手いというか、純粋に、洗練されて(その上で未解決を残してはいるが;未解決にも事実未解決なものと推測できる未解決を残している辺りがなかなか上手いと思うのだが)、不安定を安定させる。
このカタルシスライトノベルの真髄の一つではなかろうか。
手軽に読むには少々前置きが長いのと、普段から本読みしてる人には文体やら、書き方やらが気に食わなかったりするのかもしれないが、実に見事な文章だと思えた。

あるいは一種古典的な手法だったかもしれない。
言ってみればデジタルな物語である。
極々に記号化された登場人物が、台本どおりに物語を遂行させ、最終的に解決させる。
ここで解決させずにうやむやなまま余韻とやらを楽しむ本も一杯あるとは思うのだが、それはそれで良いとは思うのだが、が故にか綺麗に片付けてくれたこの本がとても印象的だった。