臓器狩り

http://hemohemo.web.infoseek.co.jp/category/china01/

旬の話題でもあげつらっておこうかと思ったが、ちょっと別のところに引っかかってみた。

法輪功という単語がわからなかったので調べてみると、カルト教団の一つとして考えて良いようです。

>>世界60カ国以上ですべて無料で教えられており、その教えに基づいて修煉を行うことで内面の向上や病気治療に顕著な効果がある。 (引用元:wikipedia)<<

>>この功法はもともと秘伝の形をとっていて、一般には今まで公開されていなかったが、1992年より公開され、その教えによる精神的・肉体的効果が口伝えに急速に広まったことで、中国をはじめ全世界で1億人以上に学習者が増え、現在も増え続けている。 (引用元:wikipedia)<<


裏づけと言うか、よくあるパターンに照らし合わせてみると、

  • 秘伝→公開

『本当は秘密なんだけど、知ってる人に教えてあげて良いよ』
胡散臭さ爆発と言ってもいい。
美味しい話はそうそう転がっていない。

  • 無料

タダほど怖いものは無し。

  • 病気の治療に顕著な効果(但し医学的根拠無し)

あるあるみたいな。
医学的・科学的に根拠の取れない、あるいは疑わしいもので、且つ体が『良くなる』などという触れ込み、色んなところで見かけませんか。
疑わしさがピークに。


『実際に体験してみないと良さなんて判るわけがない!』という意見に関しては、じゃあ実際に体験して「これは悪い」ということを大声で言う人がどうしていないかについて考えなければならないだろう。
理由はいくつも考えられるが、まず何故良いかを主張するのかというメカニズムについて。

  • 良いと主張することにより信者が増える

→自分に金銭的な得がある
→信頼関係から後ろ盾が出来る
→精神的な安定を得る
つまりは、良いと主張することによるメリットがデメリットを上回るからだと考えられます。
勿論性善説などあるわけもないので、「本当に良い物だから彼らは主張しているのだ」などという意見を信頼できるもの足らしめる要素は存在しない。
では逆。

  • 悪いと主張することにより敵が増える

→自分に金銭的な得は生まれない(但し悪いと主張することにより金を得る方法がなくはない)
→単純に、信者の数だけ敵は増える
→精神的な不安定を得る(但しレッテル貼りによる安定感は得られる)
悪いと主張することにより、メリットを得ることはデメリットを得ることよりも圧倒的に少ない。
わざわざ危険を冒してまで、自分の興味のないものを批判する必要もないと普通は考えるからだ。
何も言わないことで自分に危害が及ばないのなら、それに触れようとは大半の人は思わない。


こうした考えから見て、カルト教団に対する批判はとても生まれにくい。
故に報道もされない。
が、今こうした『何もしなければ自分に危害は及ばないけど、関わったり批判したりしたら自分に危害が及ぶ』物に対して批判・抑圧できる手段としてのwebが存在する。
考えてみれば、昔の新聞社や報道に携わる社員は実に精神的に楽であっただろう。
自分の持つ批判意見は『無記名で』出すことが出来、(しかも無記名であることに正統な理由までつけることが出来る)自分の思い通りに世間を操ることが出来た。
しかしwebによって、一般市民にも『無記名という武器』が配られた。
故に、それを既得権とする報道陣がそれをあの手この手で防ごうとするのは理解が行く。
返して、私達はそれにこそ抵抗しなければならないのではないか。

話が若干逸れたが、同様に『無記名』を以ってして、カルト教団へも批判を為していかなければならない。
しかしながらそれは同様に、一般市民が『無記名』を使って一般市民を煽動することも可能になったと言わざるを得ない。